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強制改宗保護説得 期間12年5ヶ月の様子

被害者の陳述

12年5ヶ月という「保護説得」を受けた後藤さん。
その概略文が新聞に掲載されていたので紹介します。
教理面の内容は、ここでは割愛します。

 12年5か月にわたる拉致・監禁――

 1995年9月11日に拉致され、以後、監禁され続けた後藤徹さん(44)は、「脱会カウンセラー」から協力を得て監禁を続けていた親族たちによって、今年2月10日夕方、監禁現場である東京・荻窪のマンションから、突然、「ここから出て行け」と着の身着のまま、無一文の状態で放り出されました。

 強制的に信仰を棄てさせようとする、前代未聞の人権侵害に対して、後藤さんはJR荻窪駅駅頭で抗議活動を行っています。

後藤さんがマンションから出されたとき、「これからいったいどうしよう」と街をさまよい、そして、助けを求めて渋谷にある統一教会の本部教会に向かいました。長い監禁期間中まともな食事を与えられなかったため、力がなく、途中で力尽き、ついには歩けなくなりました。わらをもつかむ思いで道行く人に助けを求めたところ、その人はたまたま統一教会の教会員だったそうです。(嘘のような事実だそうで)

その人の援助を受けて本部教会に到着したのは夜中。すでに自力で歩行できなくなっていた後藤さんは、その場で緊急入院。リハビリが始まりました。
「脱会カウンセラー」とは、信者の家族などから依頼され、統一教会から脱会させるための説得を請け負う者たちのことをいいます。

後藤さんは家族らによって西東京市の実家で拉致され、その日の内に新潟市のマンションに移され監禁されました。その後、東京に移され、最後は荻窪のマンションに監禁されました。
 信仰を棄てることを拒んだ後藤さんは、12年5か月に及ぶ期間、「外へ出たのはマンションを移動したときだけ」(後藤さん)という信じ難い期間を過ごしたのでした。

マンションの戸は内側から南京錠が掛けられ、すべての窓は特殊な鍵で閉ざされていました。
後藤さんは不当な監禁に抗議し、「助けてくれ」「監禁は卑怯だ」「警察を呼べ」などと、のどが張り裂けるほど叫びました。しかし、多数を相手に脱出は困難で、声がもれないように布団を頭から被せられ、そのために何度も窒息しそうになりました。

衣服は裂け、顔や手、腕から出血し、その血は床にしたたり落ちました。体中、あざや傷だらけになり、痛みと不安、怒り、憤りで眠れない日が続きました。
脱出を断念した後藤さんは、抗議のハンガーストライキ(断食)を実行。

監禁実行者らは後藤さんの態度に激怒し、ハンストでやつれたところに、さらにまともな食事を与えない制裁を加えました。
後藤さんは「水に浸してあった生米を見つからないように食べ、何とか餓死を免れました」と命にかかわる状況であったと訴えています。

以後も与えられる食物は極度に少なく、解放されたときには、身長182センチの体は39キロでした。

病院では「全身筋力低下、廃用性筋萎縮(筋肉を使わないために筋肉組織が小さくなった状態)、栄養失調、貧血」の診断が下されました。

脱会強要に関与した「脱会カウンセラー」のM氏は荻窪の監禁現場で、
「もし自分の子供が統一教会をやめなければ、おれは家に座敷牢を作って、死ぬまで閉じ込めておく」と言い放ったといいます。

40年間に4000件以上もの同様の拉致・監禁事件が起きており、現在も全国各地で脱会強要が行われているのです。

後藤さんは、二度とこのような人権侵害が起こらないよう思いを込めて、JR荻窪駅駅頭で抗議活動を行っています。

「このような前代未聞の人権侵害を到底許すことはできません。監禁体験を振り返って、人間扱いされた気がしないのです」。

後藤さんは駅頭を行く人々に向かって信仰の自由を訴えています。

世界日報より

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