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保護説得による統一教会脱会者(元信者)からのメッセージ

統一教会員への監禁 被害者の陳述

保護説得を受けた後、脱会し、元信者として説得の補助にも協力したことのある人からのメッセージ入手したので、ここに紹介しておく。

自分は拉致監禁から出て来て、もう自分の人生はその拉致監禁の首謀者たちからは影響を受けておらず、自由の身と錯覚していた。
つまり自分が親とうまく交流できないのは自分と親との問題、兄弟との交流が続かないのも自分の根気がないためと思い込んでいた。

ところが、つい先日ある人たちからの助けを受けることにより、自分自身や自分の家族はおろか、他の統一教会の信徒たちとその家族、ひいては日本国民全体が、その拉致監禁の首謀者およびマスコミおよび反宗教の立場の人々の影響の中にまんまと入ってしまっている事に気付いた。

それは、ちょうど私が監禁されている間、1992年のワイドショーにおける反統一教会キャンペーンを全国民ともいえる人数が見て容認してしまったという事実である。

その報道において最も責められるべきは、内容以上にそこに登場していた元信者なる方々のほとんどは(山崎浩子さんをはじめ) 拉致監禁という形で信仰を捨てた人々だったということである。

彼等は、人間の心の働きのうちで最も重要な部分である信仰心(神聖なるものへの親愛の情)を親や親戚とはいえ暴力で閉じ込められることによって、ねじ曲げられ、破壊された方たちだった。

「あなたなんかに、神が語りかけるはずがない。」

「聖書を読んで理解していないものに神様が理解できるはずがない。」

「お前はだまされただけなんだ。」

「お前には真理なんか判断できない。」

「みんなが信じるようなことを信じ、みんなに合わせた方が間違いない。」

「直感なんかに頼っちゃだめだ。常識的に考えなさい。」

そんな意味を底に秘めた統一教会の教理や活動への批判の言葉をずっと強制的に彼らは聞かされたはずだ。

そして、彼らは、不安にかられ泣き叫ぶ親、殴りかかってくる兄弟たちを見た。

愛する人たちのそんな姿を見ながらも、神への親愛の情が保てるものは多くなかった。

しかし、彼らに神に語りかける資格がないのだろうか?

統一教会へ入っているという理由で神は交わりを拒絶されるのだろうか。聖書を読まないもの、まじめでないもの、間違った人、罪を犯したものは、神の答えを求めることさえも許されないのか?

その判定をマスコミにゆだね、結局は反統一教会の首謀者、反宗教の立場の人々にゆだねてしまったのが、日本国民の現実である。

そして、日本国民の多くが、宗教家も含めて神より仏より天より、何よりマスコミを恐れて行動し、発言するようになってしまった。

凶悪犯罪が起こっているのに、それを助長するようなマスコミのドラマへの規制が一向に提案される様子がなく、国家や先生や父母や年長者への尊敬心が失われるような形の報道に拍車がかかっているのも、マスコミへの恐れがあるからだろう。

あなたの心にも神は、語りかけたいのだ。
あなたとだけの秘密を持ちたいほど、あなたとだけの交わりを大切にする神様なのだ。

その資格が誰にでもあることを、言われなき罪を根拠にした暴力により、資格を強制的に奪われた一人一人に、そして、テレビでの彼らの姿を見て、マスコミの反宗教の意図に同意してしまって、同じような状況に陥っている国民一人一人に伝えたい。


保護説得による脱会者の脱会理由として、

反統一によって洗脳されている親をみて、憐れんで、統一教会の信仰という自分の我を通すことよりも、親への愛情を大切にして教会から離れるという選択をした

という人が多いのも事実であろう。それはそれで致し方のない判断だと思う。

しかし、その強制改宗の方法が正しいかどうかは別問題だし、その後の親子関係が末永く良好に保たれるかどうかは疑問である。

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