保護説得とは少し離れますが・・共感する部分がありました。
昔統一教会員だった方のコメントです。
わたしは30年ほど前に教会にしばらく在籍したことがありますが、その後離れました。当時はいわゆる霊感商法というようなものはまったくありませんでしたが、それでも経済活動はしておりました。わたしが在籍した当時は廃品回収や花売り、その後高麗人参茶売りが主力になりました。わたし自身は経験したことないですが、わたしの先輩にあたる人は日々の食事をパンの耳ですますというのが一種の伝統でした。ある意味では清く貧しくという精神が生きていました。
いわゆる霊感商法というのは80年代になってからのことです。それをはじめた方は統一教会の経済部門の日本のリーダーといわれた方で、非常にやり手の方だったようです(その方と入信当時話をしたこともありますが)。
その前から新しい経済の主力商品として韓国では大理石の壷などを販売する会社を興し、その販売を彼にまかされたそうです。
最初の頃、伝道と一緒に壷を売るというやり方が非常にうまくいき、それがどんどんエスカレートして世間の批判を浴びるようになったのだと思います。わたしはすでにその頃は離れていましたが、そのようなやり方を非常に残念に思いました。知り合いの教会員に対してそのことで批判をしたこともあります。
かつてのような一般人に対する霊感商法は現在ではあまりやっていないようです。但し、逆に信者はその分献金額が多くなり、あなたもいうように破産状態の信者は多いのではないかと察します。そういう体質が世間の批判をあびるのはある意味でやむをえませんが、しかし信者は少なくとも地上天国という共通の理想を目指しているので、外部からみると確かに異常にみえても仕方のない部分があります。
そのような意味では清く貧しくという初期の頃の伝統は形をかえながらも今でも生きているようです。そもそも統一教会の考え方では、私有財産というものは否定されます。
その辺は天理教などもそうですが、すべては神のものだから神に返すのがあたりまえだとされます。
しかしこれは今の資本主義の世の中ではなかなか理解されがたいでしょうね。それでも宗教というのは本質的に非世俗的な部分がありますので、周囲も彼らの生き方に対して一定の理解をすべきだと思います。
多様な価値観の中で生きるわれわれの社会ではそのような共存の道しかないでしょう。でなければ民主主義というのは成り立ちませんね。
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