警察も助けない拉致事件
今から9年前の95年11月25日―。
東京・早稲田通りで、パトカーが出動するほど大きな騒動があったことを知る人は、今ではほとんどいない。
当時31歳だった麻子は、この年の夏に韓国で開かれた統一教会の合同結婚式に参加しており、近く韓国人男性のもとに嫁ぐことになっていた。そのお別れの挨拶をかねて、妹や弟と高田馬場駅そばのレストランで食事をとることにしていたのだ。
麻子は複雑な思いで会食に臨んだ。1年ほど前、信仰に強く反対する家族や親戚によってマンションに監禁された経験があったからだ。麻子が所属する統一教会・新宿教会の教会長たちは「再び監禁されるおそれがある」と、会食に反対した。
しかし、幼い頃から可愛がってきた妹と弟にはどうしてもひと目会っておきたい。そこで、両親から「この前のような酷いことは絶対にしない」と約束を取りつけ、レストランでも先輩信者に周囲を見張ってもらうことにしていたのだった。
麻子はラザニアを食べながら、弟妹に優しく語りかけた。「私はここ(統一教会)が理想の場所だと思ってる。韓国にお嫁に行くけど、ときどきは帰ってくるからね」
弟妹が「うん、うん」と相槌を打っているとき、険しい表情で目をしばたたいている先輩信者の姿が遠くに見えた。慌てて席に近寄ると、「下に大勢の人がいる。とっ、取り囲まれているよ!いま応援部隊を呼んだから―」
また家族に裏切られた!青ざめた麻子が2階から転げ落ちるように階段を降り、通りに飛び出すと、そこには父親や親戚ら9人が待ちかまえていた。後ろからは弟妹が駆け下りてくる。総勢11人が一斉に襲いかかってきた。
「きゃー、何すんのよ!」「離してよ」
引きずり倒された麻子が父親の股ぐらを蹴り上げると、これまで怒ったことのなかった穏和な父が鬼のような形相となって覆い被さってきた。
「何すんだ、この野郎!」
麻子のベージュ色のセーターが破れ、ストッキングが引き裂かれ、壊れた靴のヒール部分が転がっていく。狭い早稲田通りにはクラクションの音が鳴り響き、野次馬は300人以上に膨れあがった。周囲から怒声が飛んだ。
麻子が無理矢理バンに押し込まれると同時に、パトカーがサイレンを鳴らしてやってくる。瞬間、麻子は「助かった」と思った。事情聴取のために関係者全員が戸塚警察署の駐車場まで移動する。
車の中から麻子は「拉致されているんです。」と警察に訴えた。
ところが・・・。「これは家族の問題です」と親戚一同が口を揃え、車から降りた妹が「姉は、いま問題になっている『統一教会』に入信しています。これから家族で話し合うつもりなんです」と説明しただけで、警察は納得し、矛を収めてしまったのである。
麻子は「見てください!私は羽交い絞めにされています。助けてください」と必死に叫んだが、警察は一瞥しただけで取り合おうとはしない。
法治国家なのに統一教会員には人権も認められないのか―。悔しさと同時に絶望感が襲ってきたという。
戸塚署をあとにした車は、統一教会側の追跡をまきながら、次第に東京を離れていった。2~3時間ほど走っただろうか、車が停まったところは2階建ての小奇麗なアパートの前だった。
1階の一室に両腕を抱えられ強引に連れ込まれた麻子は、怒りも露に靴のまま部屋にあがった。奥の窓に近づくと二重鍵がかけられ、外から中が見えないように色つきのシートが隙間なく張り付けられている。言いようのない悲しみと怒りが込み上げてきた。
監禁はこの日以降、じつに5ヶ月間にわたって続くのだが、麻子だけでなく、家族みんなにも疲労の色が濃くなり始めた3ヶ月目のある日、突然1人の女性が部屋を訪れた。
一瞬、緊張した雰囲気が室内に漂い、麻子は身体が強張るのを感じたという。目の下のたるみが目立つ、縮れ毛のその女性は、怯える麻子の緊張をほぐそうとしてか、不自然と思われるほど笑顔を満面にたたえ、手土産のゼリーを渡しながら、優しい口調で語りかけた。
「津村と申します。私はボランティアのカウンセラーです。・・・」
だが、この自己紹介は偽りだった。彼女の本名は黒鳥栄(56歳)。ボランティアなどではなく、プロテスタントの国内最大組織である「日本基督教団」に所属する戸塚教会(横浜市)のれっきとした副牧師だった―。
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