個人的には、キリスト教の良いところをたくさん知っている。
だから、色々あるキリスト教批判のサイトの記事などは、飽くまでも、著者の私怨から発している内容だと思っていたのだが、「統一教会員に対する保護説得、救出カウンセリング」という「正義と称した犯罪行為」がキリスト教の牧師によって行われている事実を知ってから、正直キリスト教の犯罪について考えてしまう。
なぜ、話し合いや調和の精神を持てないのか、「カルト」と銘打って犯罪集団のレッテルを一生懸命貼り付けて、自らが犯罪行為の教唆を行っているのか、不思議なところである。
ある被害者の言葉から・・・
「本当の信仰者は、相手が違う信仰をしていても何かを”信じる”をいうその心の世界は理解できるし共通したものとして感じるし、その信じている心を誰も間違っていると否定することはできません。
さらに、自分の信じているもの、自分の考えを力でもって強要することなんて絶対あってはいけません。それは、宗教者がすることではないです。
迫害の痛みをどの宗教よりも多く受けてきたキリスト教を信じる牧師が、真実にその悲しい迫害の歴史を理解し、イエス様の教えに従っているなら、拉致監禁なんて、ぜーったいにできるはずがないのです。」
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