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キリシタン迫害と現代の統一協会員拉致監禁問題

救出カウンセリング 他の強制改宗

日本の徳川時代250年に及ぶキリシタン迫害は、世界的に有名なローマ帝国時代300年間のキリスト教迫害よりもはるかに過酷であり徹底を極めた。(『探訪・大航海時代の日本3─キリシタンの悲劇』小学館、昭和53年10月10日初版36頁)

日本のキリシタン迫害が過酷であるというのは、キリシタン信者を直ちに殺害するのではなく、棄教するまで拷問し続けるという方法がとられたためだった。

これは、統一協会員の拉致監禁による強制改宗(保護説得・救出カウンセリング)に相通ずるものがある。

1.火あぶり: 信者を柱に縛り、薪を焚いて焼き殺す方法。薪を柱から離し苦しみを長引かせ、棄教の機会を与えた。

2.竹鋸(のこ)引き: キリシタンを街道わきの柱にくくり、首に刀傷をつけて、そばに竹鋸を置き、刑吏や通行人に竹鋸で首の傷跡を引き裂かせるもの。

3.穴吊り: 深さ2メートル、直径1メートルの穴にキリシタンを逆づりにする拷問。信者は内臓の逆転や頭への充血によって早く死なないよう、胴体は綱でぐるぐる巻きにされ、耳の辺りには小さな穴をあけられた。腰の辺りに中央をくり抜いた板で蓋をされたため、信者は空気の汚れで苦しんだが、苦痛を倍加させるため穴の底に汚物を入れられることもあった。

4.雲仙の地獄責め: 信者を雲仙の硫黄泉の噴出口に連れて行き、裸にした上、長い柄の柄杓(ひしゃく)で汲んだ熱湯を体中に注ぎかける拷問。苦痛を長引かせるために、医師が焼けただれた傷に手当てを加えつつ、何日も拷問を続けた。

現代では、統一教会員への強制改宗迫害のために、キリスト教の牧師が保護説得という名目で拉致監禁を実行しているのだから、歴史は皮肉な悲劇を繰り返している。


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