アメリカ著名人による「強制改宗と信教の自由」講演3
既存宗教と新興宗教への世間の認識の違い
・・・ここで、今アメリカで起こっている問題について要約してお話したいと思います。古くから存在する宗教は、人々の信頼があります。
つまり、そういった宗教は安心であると見られているわけですが、新興宗教はそういうわけにはいかず、何か怪しげなものと身られるのが一般的です。
私がベネディクト派の修道院で勉強していたときに、徹夜で祈祷しなければならず、睡眠を奪われたことがあります。また、断食をしなければならないときは食べ物を奪われました。
さらに勉強のために新聞やテレビを奪われたこともしばしばありました。もちろん独身生活を押し通すために男女の肉体的交流も禁じられています。
また、雨の中をどういうふうに歩くかということまで、細かい決まりがあったわけです。
しかしマスコミが私達を見て、彼らは非常に立派であり、タフであるとかいうわけです。
ところが、統一教会が同じようなことをした場合、マスコミはおそらくそれは洗脳であり、自由を奪っている状態、マインドコントロールであるというでしょう。
■ 霊的世界と世俗世界との中間
そしてお金については、法律の問題が出てきます。
私のカトリック教会では、ビンゴというギャンブルめいたものでお金を集めていました。時々法律を犯すこともありました。
それでも私達はカトリックという非常に強い立場で、「地獄に行け」と相手に言う事ができました。
もちろんイエス・キリストは私たちにお金を与える事ができる機能を持っておられるでしょうけれども、私たちは彼には頼りませんでした。
もちろん、ビンゴというゲームには問題はなかったわけですが、それが最良の方法ではなかったかもしれません。
ハレ・クリシュナの人たちは空港で花を売っています。空港で花を売ること自体には問題はありません。
しかし頭を剃り上げて、マントをまとい、鼻を白く塗った人たちが空港で花を売っており、私が飛行機に間に合うために走っているとき、誰かが近寄ってきて花を売るという行為をすれば、私はそれを許す事ができません。
花を売ってお金を集める事は何も悪い事ではありません。
しかし、ハレ・クリシュナの人たちに、空港ではなく他の場所で花を売ってはどうかと提案しました。
他の全ての教団にこのような提案をしていきたいと思っています。例えば、統一教会の人たちに、もっと他の方法でお金を集めてはどうか、ということを提案してみたいと思います。
カトリックの信者として、私たちは礼拝堂の椅子を買わなければなりませんでした。たとえ日曜の礼拝に行かないとしても、その椅子の代金は払わなければなりませんでした。
カトリックの神父として私たちは信徒たちに、こういうお金を払わなければあなたたちは地獄に行くぞ、というふうな言い方をしたわけです。
つまり神やキリストは皆さんにそういうお金で犠牲を払う事を願っていますというふうに言ったわけです。
・・・純粋に高い霊的レベル、また純粋に世俗的レベルにあるときは、何の問題もありません。
しかし、私たちは実際には霊的なものと世俗的なものとの中間で生活しているために様々な問題がおきているのです。この中間の領域で起こっている問題が、実際に宗教団体で起こっている問題であるといえるかもしれません。
たとえばサイエントロジー教会の人たちが本を売るならば、その本を売っているという行為は、完全に霊的な立場でも完全に世俗的な立場でもありません。
それはミックスされた状態です。
ここで、その本を売って得たお金に税金を課すべきかどうかという問題があります。
・・・このように見ていきますと、問題は中間レベルで起こっているということが理解できます。
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