11.変調

保護説得レポート

変調

96年7月―。
麻子は、黒鳥が用意した戸塚教会近くの古びたアパートに引っ越していた。あの忌まわしい「拉致事件」から8ヵ月、アパートの窓の外には緑が生い茂り、蝉が鳴いていた。

清水に脱会の意思を伝えた後の麻子は、太田八幡教会に通いながら、今度は「脱会者」として別の監禁現場に説得に出向いたりもした。横浜に引っ越してからは、弁護士を通じて統一教会への献金の返還、婚約破棄の交渉手続きを行いながら、週に2度、両親と一緒に戸塚教会に通った。

教会では何をするのか、両親が教えてくれた。

教会との関係は謝礼金を払い献金して終わり(両親は2人の牧師に合計で100万円以上を支払っている)ではなくさらに”お礼奉公”というのがありまして、勉強会で成功者として自らの体験を喋ったり、保護に協力したり……。

小林(宗一郎=前出)君を北千住の路上で拉致したときは私たちも手伝い、マンションに運んだんです。今では悪いことをしたと心から思います

教会に通う一方、麻子の精神・肉体は徐々に変調をきたしはじめる。
鬱々とした気分が続き、ときおり「何に怒っているのかわからないのに」激情にかられる。その辛さをアルコールで紛らわせるようになる。子どもの頃に罹ったことのあるアトピーも再発した。
アトピーはひどくなる一方で、治療に使うステロイド剤の副作用のために身体が浮腫み、1年あまりも外出がままならたかった時さえあった。監禁を解かれ、自由な空間を得たはずなのに、毎晩追いかけられる悪夢にうなされ、やがて「身体」が家族を拒絶するようになった。

みんなで食事した後に吐き気を催したり、妹や両親がアパートに来るたびに身体が硬直してしまい、帰った後、トイレに駆け込んでしまう。

監禁の記憶がフラッシュバックのように甦ってくるんです。あの時は、みんなで仲良く”家族ごっこ”をやっていた。その記憶が甦ると鬱々とした惨めな気分になってしまう

冒頭で登場した麻子の友人、高須美佐と中島裕美も、ともに黒鳥のもとで監禁説得を受け(美佐は麻子と同じように黒鳥の後で清水が説得)、脱会後に戸塚教会に通っていた。

美佐の場合、それまでは軽かった鬱状態が、新潟の少女監禁事件が発覚した頃から一気に症状が悪化したという。

電車に乗ると雑誌の吊り広告に大書された「監禁」の2文字が目に飛び込んでくる。それだけで辛い監禁の記憶が生々しく脳裏に甦った。美佐がそのときの思いを振り返る。

監禁された少女の事件を知って羨ましくて涙が出た。あの子は、いつか両親が助けてくれるという希望があったわけでしょ。そして現実に救い出された。私は実の両親に監禁された。親にレイプされたような気がするんです」

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