”保護説得”の原点
いったい、このような野蛮な拉致監禁はいつ頃から始まったのか―。
拉致監禁に前史があるとすれば、それは信者を「精神病院に隔離、入院させた」暗い歴史であろう。
弁護士の上野忠義の調べによれば、1986年までに17人の信者が強制的に精神病院に入院させられている。少なくとも6名が同じ病院に入院させられていることから、組織的犯行の疑いが強い。
80年代後半になると、さすがに「精神病院入院」は影をひそめるが、それと入れ替わるように増えはじめたのが、「牧師による強制説得」だった。その先駆けとなったのが、福音派である荻窪栄光教会(東京)の牧師・森山諭(故人)である。
統一教会をはじめ、モルモン教やエホバの証人など、キリスト教系の信者に次々と教義論争を挑み、”正統派クリスチャン”に改宗させたことで知られる人物で、83年に自費出版した『タベ雲燃ゆる』では、次のように記している。
<最も激しい異端との戦いは、統一協会のそれである。1966年から83年までの間に、北海道から九州まで、相談者は九〇数人にのぼる。私は両親なり兄弟なり三、四人に逃げられないように監視して欲しいと頼んでお迎えする>
(注=反統一教会側は、統一教会をキリスト教と区別するため、通常、「統一協会」と表記する)
森山とて最初からこのような物理的な力による説得を家族に勧めていたわけではない。一対一の教義論争がうまくいった時期もあったが、次第に困難になったようだ。その日は納得したように見えても、数日後に再び親に連れられて来ると、先輩信者に説得されたためか、「元の信者」に戻っている。
こうした苦い体験から、統一教会からの影響を受けないように監禁下で説得するという手法が編み出される。
森山のこの手法は、次第に他の福音派の牧師にも伝授されていく。76年3月の『クリスチャン新聞』(福音派の機関紙)は、「再臨待望同志会」なる団体が統一教会間題対策のセミナーを3日間にわたって開いたことを報じている。
同セミナーでは「47人が全国から集まり、森山諭師の指導を受けた」とされている。この森山の教え子たちがやがて全国で”保護説得”を実践していくことになるのである。
一方、組織を挙げて統一教会問題に乗り出したのが、黒鳥・清水両牧師も所属する日本基督教団だ。
86年11月の総会で統一教会に対する声明を発表するとともに、家族の相談に対応するため、全国16の教区(現17教区)に相談窓口を設置した。山崎浩子を脱会させたことで一躍有名になった西尾教会(愛知県岡崎市)の杉本誠は、97年に「日本脱カルト研究会」(現・日本脱カルト協会)で次のように報告している。
「基督教団に属する3000人近くの牧師の内で、少しでも救出に関わったことのある牧師は200人ぐらいいると思う」
福音派も日本基督教団も同じプロテスタントだが、前者が聖書原理主義的な色彩が強いのに対して、後者は聖書の一字一句には拘泥せず、リベラルな立場をとっている教会が多い。
また、脱会後の統一教会信者に対するスタンスも異なり、前者は脱会(信者救済)を伝道活動の一環ととらえ、”真のクリスチャン”の改宗に積極的である。事実、福音派の高澤は裁判の証言で悪びれることなく、「私の教会の信徒100人のうち、半分は元統一教会信者です」と語っている。
このような違いはあれ、プロテスタント各派の牧師が組織的に取り組むようになった80年代後半から、”保護説得”は全国規模で行われるようになり、多くの統一教会信者がある日突然、姿を消してしまうといったことが頻繁に生じるようになったのである。
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