07.脱会の果てに

保護説得レポート

脱会の果てに

数日後の夜、黒鳥が突然現れ、「移動」を告げた。母親と妹に両腕を抱えられた麻子が両親の車に乗ると、傍らに止まっていたもう一台の先導役の車が静かに走り出し、父親はその後を追うようにしてアクセルを踏んだ。

再び、両親が語る。

「車には簡易トイレも積んでいました。なんでも以前、公衆トイレに行くふりをしてそのまま逃げてしまった例があったようで、移動の際には準備するように指示されていたんです」

かつて、私が会った別の男性信者も、「移動の際の簡易トイレ」について語ってくれたことがある。

「トイレに行きたい、といくら言っても降ろしてくれない。仕方ないので、簡易トイレに流しましたよ。家族や知らない人もいる車の中で用を足す。あの屈辱は一生忘れません」

2台の車は、神奈川から東京、埼玉をノンストッブで走り抜け、利根川を渡り、群馬県伊勢崎市に到着した。午前1時過ぎのことである。

麻子が市内にあるマンションの一室に入ると、やはり窓という窓には二重鍵がかけられ、壁の一部が大きく凹んでいた。あとで分かったのだが、以前、監禁されていた女性が暴れたときにできたものだった。

部屋に入ってまもなく、でっぷり太った中年の男性が、5~6人の若者を引き連れてどかどかと入ってきた。同じ県内の太田市にある太田八幡教会の牧師・清水与志雄(49歳・現名古屋東教会牧師)と、彼が脱会させた元信者たちである。

ちなみに清水自身統一教会の元信者で、自主脱会した後、牧師の資格を取っている。所属は黒鳥と同様、日本基督教団である。

清水が大声で統一教会を批判し、脱会者に相槌を求める。すると、脱会者は一様に「先生、そのとおりです」と頷く。麻子にはまるで教祖と従順な信者のようにしか思えなかったという。そんな光景が毎晩続いた。
たまに麻子が批判的な意見を述べると、「まだ原理など信じているのか」といった哀れみの籠もった目を脱会者から向けられた。

「それが侮辱されているようで、たまらなく嫌だった。屈辱的でした。群馬に行ってからは、脱会者の人たちの態度が一番嫌でした」
インタビューに答える麻子の手が痙攣したように強く震えはじめた。「最も思い出したくない出来事」だという。清水に反発すれば監禁生活から解放されない。

逆に、自分の心を抑えて従順な態度を示せば、いつかは解放される…。このような二律背反の状態が続けば精神は不安定化し、ときには分裂状態さえも引き起こしかねない。

とにかく自由を手に入れたかった麻子は、清水の言葉に耳を傾け、彼が差し出す資料や書物に目を通すようになる。やがて統一教会への疑問が次々と芽生え、強い信仰は徐々に揺らいでいく。

この頃の彼女の日記には「統一教会の神は聖書の神より小さい」「統一教会は神を知っていると言いながら、その実、信じていない」といった文言が出てくるようになる。統一教会への疑念は確信へと変わっていった。

2週間後、麻子は脱会の意思を清水に伝えると、監禁を解かれ、太田八幡教会の”聖書研究会”に顔を出すように指示された。早稲田通りで拉致されてから150日目、脱会と引き換えに、ようやく得た「自由」だった。

家族は清水から脱会の報告を聞いて涙を流して喜び、これでようやく昔の麻子に戻ってくれると胸を弾ませた。事実、麻子は今日まで統一教会には戻ってはいない。

しかし、不幸なことに、麻子は、家族が望むような麻子にも戻らなかったのである―。

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