05.勧める牧師

保護説得レポート

”保護説得”をすすめる牧師

時計の針を、早稲田通りでの騒動から1年ほど前に戻す。

94年6月頃のことだ。麻子の家族は苦悩していた。3年前に娘の統一教会入信がわかって大騒ぎになったとき、宗教に詳しいという親戚が「教団の影響が及ばないところで説得すれば脱会させることができる」ともちかけてきた。

ところが、いざ実行してみるとすぐに逃げられ、それ以来、娘が行方不明になってしまったのだ。茫然自失の両親に代わって妹が麻子の行方を探し、統一教会に関する情報を必死になって集めていた。

そんな折、「全国原理運動被害者父母の会」という会の存在を知り、その会合に両親が参加し、前出の副牧師、黒鳥を紹介されたのである。

「麻子を取り戻したい私たちにとって、黒鳥先生は藁にもすがる思いで頼った救世主のような存在でした。先生は『教会で勉強することから始めなさい』と言われ、私たちは週2回、必死で教会に通ったんです」

日曜日は礼拝、水曜日は”聖書研究会”という名目で行われる父母の会(勉強会)である。勉強会は黒鳥を中心に、脱会した元信者、脱会に成功した家族、現役信者を抱える親の三者で構成され、常時30~40人の出席者がいた。

そこでは脱会の成功事例が報告され、元信者による体験談が話され、現役信者の親たちは今の苦しみを口々に訴えた。脱会方法としての「拉致監禁」は”保護”、「監禁説得」は”保護説得”という言葉で語られていたという。

再び麻子の両親の回想。

「勉強会で発言をされた元信者の家族の方は、それぞれ”保護説得”に成功された方たちでした。自宅に座敷牢を作り、そこに子どもを閉じ込めた方、他の人の息子さんの”路上保護”を手伝って、車に押し込んだという方もいらっしゃいました。

保護するのは当たり前といった雰囲気で、言葉のイメージからも”保護”が悪いことだとは、当時はまったく思いもしなかった」

この種の勉強会は、脱会活動をしている教会ならばどこでも行われている。拉致監禁を”保護”と言い換えるのも同様である。ときに牧師は自らを”救出カウンセラー”と名乗り、脱会は”救出”と表現される。

だが、救助を求めていない人間の意思を無視して強引に拉致し、監禁下での説得によって脱会させる行為を「保護」「救出」と言い換えるのは、事の本質を糊塗するものと言わざるをえない。

反統一教会側は”保護説得”を正当化するためか、同教会の問題をことさらデフォルメしてアナウンスする傾向にある。

取材中に知り合ったある母親は、息子を保護、強制説得により脱会させた。そのこと自体は喜びつつも、監禁という手段については「間違いだったのではないか」と悔やんでいる。

「結局のところ、牧師さんに煽られたんだと思います。『統一教会は犯罪者集団だ。おたくのお子さんもやがて加害者になって、別のお子さんを傷つけることになる。親として保護しなくてどうするんだ』と。そして、脱会させるには保護説得しかないと、何度も言われましたから」

麻子の両親も同様だった。所在の判明した娘から「合同結婚式に参加する」という連絡が入るに及んで、”路上保護”を決意する。そのことを黒鳥に話すと、彼女は計画を実行に移すための「経験者」を紹介したという。

Sという名前のその男性は、自らも息子の脱会に成功し、勉強会にも顔を出していた。黒鳥は、そのSに実行計画の作成と当日の指揮を頼んだのである。

ちなみに、牧師のなかには拉致行為そのものまで手伝う牧師もいるが、通常、牧師は直接関与せず、経験者を紹介するのが一般的だ。牧師が姿を見せるのは、あくまで”保護”後の説得役として、「家族に頼まれ、本人も会うことに同意した」という形式を整えた上であることが多い。

これは、拉致監禁行為の法的責任(教唆・共謀)を回避するためではないかと思われる。

<実行に加わるのは全部で16人。このうち身内以外のS以下5人は、統一教会側の邪魔が入った際の「応援部隊」とする。監禁場所は、戸塚教会と同じ横浜市内にあり、直前まで別の信者(冒頭に記した高須美佐)を保護していたアバート。

アパート内にはテレビ、電話は設置しない。インターホンも取り外しておく・・・・>

計画は徐々に具体化し、そして早稲田通りで実行されたのだった。

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