04.拉致監禁事例

保護説得レポート

統一教会信者が拉致監禁された事例

被害者氏名説得者(牧師)
事件の概要と経過
88年中島裕美(当時25歳)黒鳥栄
自宅に戻る途中、横浜市内で両親らに拉致される。同市内のマンションに2週間監禁。後日、脱会。
95年高須美佐(当時27歳)黒鳥栄・清水与志雄
実家に戻る途中、両親らに拉致される。横浜市、群馬県太田市内のマンションに合計6ヵ月半監禁。後日、脱会。
95年宿谷麻子(当時31歳)黒鳥栄・清水与志雄
東京早稲田通りで家族らに拉致される。横浜市、群馬県伊勢崎市内のマンションに合計5ヶ月間監禁。後日、脱会。
97年小林宗一郎(当時25歳)清水 与志雄
東京・北千住の路上で家族らに拉致される。太田市内のマンションに7ヶ月間監禁。後日、脱出。監禁は3回目。
97年今利 理絵 (当時26歳)清水 与志雄
川崎市で家族らに拉致。5ヶ月間の監禁後に偽装脱会。99年に牧師、両親を提訴するも一審・二審敗訴。2006年3月に最高裁で和解。
99年アントール美津子(当時26歳)清水 与志雄
東京・昭島市内のアパートで両親らに拉致、太田市内のマンションに2ヶ月間監禁。後に脱出。99年に牧師、両親を提訴するも一審、二審、最高裁全て敗訴。
01年寺田こずえ(当時28歳)高澤 守
韓国から高知県の実家に帰省したところを両親らに拉致。大阪市内に2ヶ月間監禁後、夫が救出。02年に牧師、両親を提訴し、一部勝訴。両者控訴するも棄却。牧師を刑事告訴中
02年元木恵美子(当時32歳)松山 裕
韓国から山形市の実家へ帰省したところを拉致。秋田県の教会に2週間監禁後、警察が救出。牧師、両親を刑事告訴し、牧師は不起訴、両親は起訴猶予処分に。

表は、私が実際に取材した事例を含め、拉致監禁などの被害を受けた信者が告訴、民事事件に発展したケースを中心にまとめたものだが、これらは氷山の一角でしかない。前出の岡村が語る。

「統計としてはやや古いのですが、90~92年の3年間で拉致監禁された当会の信者は941人。うち退会した人は601人、監禁先から逃げ帰ってきた人が233人。残りは消息不明です。

山崎浩子さんの退会が報じられた翌93年には1年間だけで400人を超えている。これまでに”拉致監禁”によって退会した信者は、少なく見積もっても4000人はいるでしょう。現在もこのような行為は続けられています」

現在も脱会活動に関わっているある牧師も、次のように語っている。

「私が保護(拉致監禁)説得したのは230人です。MさんやFさん(いずれも牧師の名前・インタビューでは実名)だったら、それぞれ800人はやっている。すべての牧師を合わせれば、最低でも5000人はいるでしょう」

実質的な信者数が現在約5万~6万人といわれている統一教会で、これだけ多くの人々が拉致監禁の被害に遭っている。にもかかわらず、この闇の部分に追及のメスが及ぶことはこれまでほとんどなかった。

正直に告白するが、私はカルト取材の過程で、拉致監禁の噂を聞いていた。しかし、その当時は「献金活動に明け暮れる統一教会の信者は洗脳されており、その洗脳を解くには多少荒っぽいやり方を用いても仕方がないだろう」という、漫然とした思いしか湧かなかった。

実際、99年には、信者の今利理絵(表参照)が牧師を相手取って裁判を起こした際に、事実を確かめることなく、要請されるままに牧師支援のカンパに応じたほどである。

だが、実の親に監禁説得を受けた信者たちと知り合い、いまだ癒えることのない深い傷に苦しみ悩む彼らの姿を見続けるうちに、私は徐々に認識を改めていった。

「信者救出」の名のもとに行われる拉致監禁は許されるのだろうか

―― 本稿で私が問いたいのは、まさにそのことに尽きるのである。

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