その時は、そうせざるを得なかったんだと思います。
それは、当然といえば、当然の成り行きです。
あなたが書いてくれた事によって、ご家族も喜ばれた事でしょう。
私は、組織というものが嫌いです。
組織には目的があって、どのような組織であれ、その組織の目的とのずれが生じた場合、個人が犠牲になってしまう事があります。
うちの会社も社会的には順調に伸びている会社と評価され、株価も順当に伸びています。
しかし、内情は違います。
酷い現実はたくさんあり、会社は当然そのような問題が表面化しないように躍起になっています。
かくして、個人が犠牲となります。
保護説得も同様に、組織の争いに巻き込まれ、そして個人が犠牲となります。
けれども、あなたと仲の良かった友人は、あなたを思ってくれていた人は、上手な態度を取れなかったかもしれませんが、今でもあなたのことを思っていることでしょう。
たとえ一時期であったかもしれませんが、あなたが苦しんでいる時には、必死で必死で、祈ってくれていた事でしょう。
組織としては哀しいほどに弱いですが、多くの人のいい食口は、その迫害を何も言わずにただ受けて、平和が訪れる事を願っているようです。
怨讐を愛する。
随分と難しい課題です。
様々な傷をぬぐい去ることは難しいでしょう。
様々な恨みをぬぐい去ることは困難でしょう。
それでも、
いつしかあなたの心が安らかになって、組織とかそんなものは関係なく、人が人として普通に喜び合い生活できるようになる事を、一人の人として、ふつうに願っております。
願わくば、神の名の下に・・
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